早朝。
う〜ん、猫かわいい。
あ、お布団の中入って来た!猫は暖かいし最高だなあ(ニヤニヤ)
と布団の中で猫を可愛がっていた。
ねこねこねこねこ…
( ゚д゚)ハッ!
ここで起床。
寝ぼけてカイロを握っていた。
どうも、りっけいです!
夢の中で猫と勘違いしてカイロを撫で回してました。自分のアホさに朝から笑った。
まあ寝ぼけるのも仕方ないことで、冬の車中泊をしてみたら朝がめちゃんこ寒かった。
やるなら、ちゃんと冬用の寝袋を買おうね!!
(夏用の寝袋はアカン)
今回は車載して、福島県沿岸部に来た。
相馬市をメインにアチコチ走ってみる。
いま住んでる山形は雪まみれでツーリングできる環境じゃなくなった。
雪がなくて海があるところ、って考えたらココに来ていた。(海が好きなの)
バイクは弐号機 ARGON18 GALLIUM。
この子とならどこへでも走っていける。
さて、海大好きっ子のぼくの目当ては、もちろん太平洋!
ツーリングには『景色』を楽しみに来ているようなものだ!太平洋たのしむぞ〜〜!
と意気揚々で海へGO。
え?
えええ?
ぎゃーーーす!!!
海沿いの道が全部工事中……。
まじでか/(^o^)\
防災林の植栽のためらしい。
これは、もう仕方が無いこと。
震災からもうすぐ8年経つが、沿岸部はまだまだ復旧中なのだ。むしろ、安全を確保するために工事をしてもらってるんだから、観光気分で来ていた僕が悪い。
『ノープラン&下調べ無し』で旅するスタイルなので、こんなことには慣れてきた。
旅は柔軟性!!
観光モードから、被災地見学モードに切り替える(*`・ω・´)
せっかく東北に住み始めたんだから、実地でしか味わえない旅をするのもまたいいものだ。
(ここからは震災の話が続くので、苦手な方はこのブラウズを閉じてね!)
あたりを適当に散策する。
うん。なんだか、、、
とても、、、
寂しい気持ちになる。
人も動物もいない。
たまに車が通り過ぎる。
鳥たちが空を飛んでいく。
とても生気がなく、沈んだように静かな土地だ。
想像してみよう。ここは南相馬市。
津波がやってきた場所だ。
まわりには店もない。
住宅も建っていない。
自販機すらない。。。。
想像してみよう。
あのとき、何が起きていたのか。
断片的な知識と、目の前のリアルな光景から考えてみる。
想像する。
ウゥーーー。ウゥーーー。
サイレンの音。
ホコリが舞った空気が肌にまとわりつく。
煙の匂いと腐臭。
誰かが叫ぶ。
無言を返すのは、積み上げられた木材や金属類。
想像できるのは、五感で感じられるものだけ。見た光景や聞こえた音は、脳内で再現できる。
だけど、それらを目の当たりにした人は何を感じるのだろうか。
毎日の希望も苦しみも、何もかもが飲み込まれたとき、感じるものはなんだったんだろう。
もしも、ぼくがその場にいたら。
どう感じるだろうか。。。
きっと、、、、、分からない。。。
いくら考えてみても、ぼくがその場にいたらどう感じるのか、分からない。
唯一分かるのは『僕は不幸だ!!!!』と心の底から感じることだろうってことだけ。
ただ、この考え方はとてもおこがましい気がする。その場にいた人すべてを『不幸な人』だと決めてしまいそうだからだ。
知りたい。あのときのことを。
ぼくの中の知りたい欲求がむくむくと湧いてきた。
知りたいなら行けばいいじゃないか。
鎮魂記念館へ向かう。
その道中。
とても閑散とした土地がつづく。
津波はこのずっと奥まで届いたそうな。
手前の植物は松の苗木。将来には立派な防災林になってくれる。そのうち住宅やお店が建つことを祈る。
ずっと工事をしているんだろう。
これからも工事をするんだろう。
大根畑を見つけた時には、なんだかすごく嬉しかった。
『ここには植物がある!生き物が育とうとしている』
この土地の希望を見つけた気がしたから。
削り取られた山。
塩水に浸かった田畑の土の入れ替えの際、新しい土として使われたのかもしれない。
着いた。
相馬市 伝承鎮魂記念館。
中には当時の写真やビデオ、遺留品が展示されていた。
震災の翌日の写真。
今日走った道なんだよね、これ。
家の1階が浸水している。この家もきっと壊されたんだろう。住んでいた人の思い出はどこへ行ったんだろう。
行方不明者を捜索する自衛隊員たち。
潰れた車や家ひとつひとつ調べて探したそうな。きっと、大変な光景をたくさん見たんだと思う。だって、遺体を見つけるんだよ。あぁ。。。つらい。
なぜ…?
なぜこの人たちは被災したんだろう。
運が悪かったから?逃げ遅れたから?神様がそう決めたから?
たぶん偶然だ。
彼らは何も悪くないし、被災してない人も悪くない。
彼らは、ただただ生きられなかった。
ぼくらは、たまたま生きているだけ。
生きられるうちに生きておく。
胸の内にストンと落ちる。
生きられるうちに生きておく。
人生の意味は案外、それだけなのかもしれない。
ドキドキしながら当時のことを思い出す。
前にも書いたけど、僕は当時、名古屋に住む高校生だった。この震災のことは、遠い異国の話のように感じて、『大変なことが起こったなあ』と漠然と思うことしか出来なかった。
あの時よりは、すこしだけ身近に感じられるようになった。
ビデオを見させてもらった。
津波の来た瞬間の映像を見た。
人が絶望したとき、こんな声が出るんだ。
悲鳴とも悲しみとも、違う。
すべてを諦めたような深い声だった。
人間は無力だと、気づいた。
これが震災前の衛星写真。
震災後。街が海に沈んだ。
以上。
これがぼくの見た相馬市。
ここまで書いて思うことは、読者さんには『重い話でごめん!!』ってこと。
いつもの様に楽しいツーリングの話を書きたいと思っていたけど、今回はどうしても無理だった。この話を伝えたかった。
ここまで読んでくれてありがとう。
どれだけ自分が恵まれているのか、渦中にいるとなかなか気づけない。毎日のご飯と寝る場所がある安心感。旅に出れば綺麗な景色に出会えると思っていた。
全部くつがえった。
ぼくにできることはなんだろう。
って偉そうに考えてしまった。
いま1番僕にできることは、
『行って、考えて、発信する』
ことだと思った。
だから、少しでもみなさんに知ってもらえたらなあ、なんて思ったわけですよ。
ただこの重いテーマに対して、答えなんて全然出てないので、これからも少しずつ考えていきますね。また福島沿岸部は訪れてみようと思う。
楽しいだけが旅じゃない。
こんな考える旅があってもいいじゃないの。
おわり。